暇さえあれば本を読んでいる私ですが、それと同じくらい色んな所を見て回る事が好きなんです。
過去の偉大な文学者の多くは、大自然に対して感じたものを、その著作に色濃く反映しています。
荒れ狂う大海原で巨大鯨との死闘を描いた、メルヴィルの「白鯨」や、中国の田舎で苦難にさらされながらも身を興して行く若い夫婦を描いたパールバックの「大地」も然りです。
次にあげるのは文学ではなく、歴史学ですが
近代では、保刈実さんの「ラディカル・オーラル・ヒストリー」が印象深く、学問のあり方に決まった括りは無く、土台となる知識の上、研究者の対象へのバランス感覚と感受性が実はとても重要なんだなぁ、と感じました。
机上では決して結論できない歴史学だからこそ、土地に密着する、著者の行動力が特に際立つものでしたが、それこそが私の学問への印象を変えてくれたと言う思いがあります。
柳田國男の手法も現地の人から直接聞いて、それをまとめて行くというものでした。
これら探求の題材の根源にあるのは大自然。
本当の知識は本からだけじゃ得られませんが、それでもきっかけとしては必要十分。
今、私が居るのは2189年のオーストラリア、エアーズロックのてっぺん。
タイムマシンで流星のように飛び去って行くベルヌとナインアイが見れたので、そろそろ帰ろっと。
帰ったらベルに自慢しなきゃ。ビジョナリアムが無くなってガッカリしてたから、羨ましがるぞ~
っと、その前に一杯呑んでいこっと(寄り道の達人
過去の偉大な文学者の多くは、大自然に対して感じたものを、その著作に色濃く反映しています。
荒れ狂う大海原で巨大鯨との死闘を描いた、メルヴィルの「白鯨」や、中国の田舎で苦難にさらされながらも身を興して行く若い夫婦を描いたパールバックの「大地」も然りです。
次にあげるのは文学ではなく、歴史学ですが
近代では、保刈実さんの「ラディカル・オーラル・ヒストリー」が印象深く、学問のあり方に決まった括りは無く、土台となる知識の上、研究者の対象へのバランス感覚と感受性が実はとても重要なんだなぁ、と感じました。
机上では決して結論できない歴史学だからこそ、土地に密着する、著者の行動力が特に際立つものでしたが、それこそが私の学問への印象を変えてくれたと言う思いがあります。
柳田國男の手法も現地の人から直接聞いて、それをまとめて行くというものでした。
これら探求の題材の根源にあるのは大自然。
本当の知識は本からだけじゃ得られませんが、それでもきっかけとしては必要十分。
今、私が居るのは2189年のオーストラリア、エアーズロックのてっぺん。
タイムマシンで流星のように飛び去って行くベルヌとナインアイが見れたので、そろそろ帰ろっと。
帰ったらベルに自慢しなきゃ。ビジョナリアムが無くなってガッカリしてたから、羨ましがるぞ~
っと、その前に一杯呑んでいこっと(寄り道の達人
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